幸せホルモンと呼ばれるセロトニンを多く含むことから、幸福の象徴として捉えられることもある食事ーー焼肉。
「人の金で焼肉が食べたい」という格言がネット上で拡散されるなど、日本人にとって焼肉はご馳走の代表格と言っても過言ではありません。
その起源は、第二次世界大戦後に広まったホルモン焼き屋台。在日コリアンを中心に次々と開店され、のちにロースやカルビなどの精肉も取り扱うことで現在の焼肉屋へと発展していきました。
その後は1950年代後半の高度経済成長期に合わせ、一般家庭にも焼肉文化が浸透。1991年には牛肉の輸入自由化により牛肉価格が急降下したことで、客単価2,000円前後の焼肉ファミリーレストランも登場。「牛角」や「安楽亭」などの低価格帯チェーンが数多く参入し、焼肉業界は成長の一途を辿っていきました。
2001年の牛海綿状脳症(BSE)問題の影響で、全国焼肉協会の加盟店約1,000軒のうち70%が売上前年比50%減と業界に激震が走るも、2013年以降は熟成肉と赤身を中心とした空前の肉ブームが発生。
その熱は糖質制限や筋トレブームなどの勢いも巻き込むことで今もなお続き、焼肉市場規模は2020年時点で店舗数約2万2,000軒、年商約1兆2,000億円を記録しています。
そんな激動の焼肉業界において、「株式会社 松屋」は1950年に焼肉ホルモン屋台を立ち上げて以来、業界を代表する老舗企業の1つとして邁進中。
創業時には、当時一般家庭ではほとんど食べられていなかった、横隔膜の筋肉部位を「ハラミ」として初めて販売。1964年には東大阪市大蓮にて「焼肉レストラン松屋」を開店。その9年後には完全味付焼肉のテイクアウト店をショッピングモールに出店するという偉業を達成するなど、日本の焼肉文化を切り開いてきました。
現在、当社の代表取締役社長を務める松山知弘は、創業者の祖父母から数えて3代目。今年度には過去最高売上の56億円を突破するなど、さらなる企業成長へと取り組んでいます。
しかし、松山が見据えるビジョンはただの増収増益ではありません。「世界No. 1企業を目指す」という思惑、そしてこれから松屋が歩むべき道のりを、松山本人の言葉で語っていただきました。
1981年生まれ。東京大学大学院工学系研究科卒。
株式会社コーポレイトディレクションにて企業の経営戦略コンサルティングに従事した後、2010年に株式会社松屋へと参画。
お客様に感動を与え、仲間とその瞬間を共有することを何よりも愛する。新たな肉の食文化の創造と世界への発信・浸透が目標。
ーー松屋は社長の祖父母様が創業されましたが、社長が次期後継者として意識されたのはいつ頃でしょうか。
松山 知弘(以下:松山):それで言うと、自分が松屋の後継者だと意識したことはあまりないんです。
先代である父からは、1度たりとも「家業を継げ」と言われたことがありません。
幼少期の頃から、私がしたいことを何よりも尊重してくれる教育方針だったこともあり、よく聞く「家業だけに染まる人生」とは無縁でしたね。
それもあって、大学時代までに抱いていた私の夢は、サッカー選手と映画監督、そして物理学者だったんです。元々好奇心旺盛な性格ですし、当時からやりたいことは無限大にありましたから。
最終的にはビジネスパーソンになる……つまり一般企業に就職するという気持ちを固め、当時最も興味を惹かれたコンサルティング業界への入社を決めました。
コンサル業界を選んだ理由は色々あるんですが、単純に見てきた業界の中で1番面白そうだと思ったからですね。本当に、良くも悪くも自分のやりたいことに身を投じるタイプの人間なんです。
ーー全く家業と関わりがない道のりですが、そこからなぜ松屋の3代目に?
松山:コンサル企業で地道に実績を積んでいく中、29歳の時にふと「将来どうやって生きていこう?」と疑問に思ったんです。
経営戦略立案やM&A関連業務など、間接的に企業経営に携わるという日々に充実を感じてはいましたが、これからの人生ずっといちコンサルタントとして働き続けるというイメージも湧かなくて。
そこで2つの選択肢を自分の中で作ったんです。今働いている会社の次期社長を目指すか、一念発起して起業するか。どちらにせよ、「事業家になりたい」という夢が明確になった瞬間でした。
ーーなるほど。3代目社長に就任する根底には、その夢があったんですね。
松山:とはいえ、すぐに家業を継ぐという思考にはなりませんでした。それこそ最終的には「1から起業しよう」と決意したくらいです。
実際に会社を立ち上げるにあたって「人生をかけて経営できるモノはなんだ?」とひたすら考え抜いたのですが……そこで真っ先に頭に浮かんだものが、自分でも驚いたのですが焼肉でした。
私は実家が焼肉屋だからとかは一切関係なく、1人の人間としてめちゃくちゃ焼肉が大好きなんですよ。
「好きな食べ物は焼肉です」というレベルではなく、それこそ各地域の食べログに掲載されている焼肉店すべてに足を運ぶほどです。
大学と社会人時代に住んでいた東京なんて、行っていない焼肉屋の有名店は1つもないはず。社会人として得ていた給料も全て週末の焼肉で使い切り、それこそ北海道から沖縄まで、旅行のたびに有名な焼肉店を訪問していたくらいです。
ーー想像を絶する焼肉愛をお持ちだったんですね……!そこから家業につながると。
松山:そこまで思い至った時、「ああ、いろいろ食べてきたけれど、結局実家の味が1番好きだなぁ」と思い出したんですよね。
松屋が創業当時からこだわる「秘伝のたれ」にくぐらせた、肉の甘みたっぷりのハラミやロース……。まさに天啓のごとく、「肉を食べるという喜びを日本中に広めたい!」と強く思ったんです。
そう自覚するや否や、すぐさま東京から大阪の実家へと戻り、当時の社長であった父に「入社させてほしい」と頭を下げました。
父からすれば青天の霹靂すぎて、腰を抜かしそうになっていましたが(笑)結果こうして快く継承してくれて、本当に感謝しかないです。
今思えば29歳で焼肉業界にシフトチェンジしたなんて、29=ニクで縁起が良いなと。これも運命なのかと思いました。
ーー3代目社長として、1番大事にしている軸はどこにあるのでしょうか。
松山:「食事の瞬間を、より幸せだと思えることにチャレンジしたい」という、私の根本からの願いですね。
ただ美味しいだけの食事でもお客様を笑顔にできるかもしれませんが、私が追求する目標は「唯一無二の幸せ」というギフトの供給です。
飲食店って、日本に50万店舗以上あるんですよ。コロナ禍で大幅に落ち込んだ外食業界ですが、それでも18兆2,005億円(2021年当時)の規模を誇る巨大市場です。
もちろんそれぞれの店舗に存在意義がありますし、店主の思いがこもっています。けれど私は、その50万店舗の中で「よくある普通のお店」という枠組みに収まってはいけない……つまり、周りと同じものの提供では、本当の幸せを提供できているとは言えないと思うんです。
例えば定食屋のよくある野菜炒め1つでも、「この一瞬のお昼ご飯で、どうやって感動を味わってもらうか」を意識したいんです。
「このもやし、めちゃくちゃシャキシャキやん!」「この店員さん、笑顔が輝かんばかりに素敵!」とか。そういう小さな違いでもいいから、「何か違う」を体現したいですね。
ーー確かに、特急レーンで焼肉を提供する「焼肉特急」など、お客様の目を引くものが多いですよね。
松山:確かに「焼肉特急」のような奇抜な業態ばかり注目されがちですが、別にイロモノ的な露出が目的ではないんです。食事を幸せな時間に変えるための手段が、偶然あのような形であっただけで。
とはいえ、やっぱり食事の時間は楽しいに越したことはありません。食事の回数は1日3回。しかも1年は365日と限られている。その中で外食、しかも焼肉を選ぶって、とてつもなく貴重な1回だと思うんです。
その重要な1回で経験したことのない幸せを体験し、何度も足を運んでもらえるお店を生み出していきたいですね。
ーー人の心に深く刻まれる店舗づくりを目指す社長ですが、松屋は今後どのように成長していくのでしょうか。
松山:「これまでにない食文化・食体験の創造」が私の最終ゴールです。それはつまり、日本ひいては世界中の人々に、今はまだ誰も知らない食の体験を根付かせるということ。
そういう意味で、私がベンチマークしている企業は「マクドナルド」と「スターバックス」です。
ハンバーガーもサードプレイスでのコーヒーも、現代の日本人にとって「そこにあって当たり前」の文化ですよね。でもその意識が根付いたのって、ここ50年以内のことなんです。
マクドナルドの日本1号店が誕生したのは1971年ですし、スターバックスに関しては1996年に日本初上陸を果たしました。たった50年から25年の間で、こんなに分かりやすく新しい食文化というものを根付かせることが可能、という証明に他なりません。
ーーなるほど。食文化におけるニューノーマルを生み出すことは、決して夢物語ではないと。
松山:ただ、こう言うと「飲食業界のトップを目指すなんて、無謀にも程がある」と笑われるかもしれません。けれど私は大真面目にその領域を見据えています。
とはいえ、世界を股にかける彼らの経営戦略をそのままコピーすればいい、というわけではありません。松屋は全国33店舗というまだまだ発展途上にある企業ですし、まずは日本一を目指さないと話にならないですしね。
ーーとはいえ、数多くのチェーンの台頭で、焼肉業界は調べ尽くされた気もします。
松山:確かに、「焼肉なんてもう成熟しきってるじゃん」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは大きな間違いです。完成しきった食なんて存在しないと私は思っています。
例えば、グルタミン酸がうま味成分として認知されたのは「味の素」が研究したから。手軽に安くイタリアンが食べられるのは「サイゼリヤ」がそのお手本を示したから。
今は常識となっている食文化だって「元々そこにあったけれど、それをさらに深掘りしたもの」なんです。
だったら松屋には何ができるだろう?そう考えると、私の頭の中で無限大のアイデアが溢れてきて止まりません。
圧倒的コスパの良さとエンタメ性を掛け合わせた「焼肉特急」に、焼肉と和食のマリアージュで生まれた「和匠肉料理 松屋」。家族でワイワイ気軽に楽しめる昔ながらのファミリーレストラン……。焼肉にプラスアルファの付加価値をつけるだけで、焼肉の持つ可能性は無限大に広がっていきます。
食べ放題一辺倒になりがちの焼肉業界を、このように斜めから見ることでどんどん改革していきたいですね。
ーー世界No. 1の企業に向けて、取り組むべきことは多いと言うことですね。
松山:世界を見据え、アクセル全開で進み続けることは間違いないです。ただ、飲食業界ってどうしてもブラックだと思われがちですし、実際に疲弊している業界人も多い。
しかし、私はそういった業界の至らなさも改善していきたいんです。お客様の幸せは、飲食業界で働くスタッフの幸せがないと始まりませんから。
熱い思いで焼肉、ひいては飲食業界に向き合い続ければ、日本の外食産業はもっともっと明るいものになると信じています。
ーー確かに「飲食業界は休みが少なくブラックだ」と言われることも、残念ながら多いです。
松山:ええ。これだけお客様を幸せにしたいと謳っておきながら、その幸せを提供する社員は疲弊する一方だなんて、そんなの悲しすぎるじゃないですか。
私が社長になってから実施した「月8日以上の休日」や「年2回の4連休制度」なども、ただ単に飲食業界をホワイトにしたいという思いだけで生まれたわけではありません。
社員それぞれの大切な人との時間もきちんと確保し、お客様と同じくらい自分の人生も豊かにしてほしい。そう心から願うからこそ、社員の人生が職場の中だけで完結しないよう、取り組みを進めています。
ーー松屋のもう1つの目標「世界一ありがとうがあふれる会社に」も、その1つということでしょうか。
松山:もちろんです。先ほど「職場だけで人生を完結してほしくない」とは言いましたが、家族・友人・恋人の誰よりも同じ時間を共に過ごす人って、実は同じ職場で働く仲間たちなんですよね。
だから、職場での幸福度って、他の何よりも人生の幸せに直結していると思うんです。
なのに自分の不機嫌をそのまま態度に出す人や、アルバイト・社員に1人の人間として向き合わない人ばかりだと、幸せどころか仕事が苦痛で仕方ない。
逆に、1人ひとりに向き合って「ありがとう」と感謝を伝え合う職場だったらどうでしょう。「ありがとう」と言われて嬉しくない人なんていないはずです。
感謝の循環とよく言いますが、お皿を取ってくれたこと、元気に出勤してくれたこと、そんな小さなことでも1つひとつ「ありがとうね!」と伝えられる関係性を築くことで、毎日の仕事が少しでも上向きになる。すると今度は「この幸せな気持ちをお客様にも向けよう」という思考につながっていく。
それが最終的に、「やって良かった」という充実感や、職場での幸せを生み出す。自分の幸せは誰かの幸せと地続きになっていると、そう確信しています。
ーーお客様と社員、どちらも幸せにできる共通項が「ありがとう」の気持ちということですね。
松山:「この人たちと一緒に仕事ができてよかった」「この人たちとだからこそ、素晴らしい体験ができた」。そう思える環境を極めることで、さらなる挑戦へと果敢に取り組めるはず。
松屋が世界No. 1の企業へと成長するために、私はあらゆる「幸せ」を追求していきます。
株式会社松屋では一緒に働く仲間を募集しています